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The History of 高野組 | 高野組 注文住宅 鳥取 倉吉市 米子市 境港市

The History of 高野組

The History of 高野組

 

昭和33年 (1958)
高力建設と野間田組
2つの企業が合併して
有限会社高野組はスタートしました。
会社の発展期を担った高力修一と、
会社の未来を見据える野間田節雄が、
高野組の歩みと
これからの抱負を語ります。

目次

歴史を語る

①②

 

こころを語る

③④

 


①  
歴史を語る

橋を架け、田んぼを整備した日々

歴史を振り返れ、と言われて一番に思い浮かぶのは、昭和34年の伊勢湾台風のことです。
全国に大被害をもたらしたこの台風は、鳥取県内にも大きな爪痕を残しました。その時に流されてしまった橋を架け替えたのが、その前年にスタートしたばかりの高野組の、デビューを飾る出来事となりました。一生懸命工事をした橋は優良工事として表彰されました。それで自信をつけた私達は次々に橋を架け、それがまた優良工事に認められるという良い循環が生まれていったのです。

昭和38年、鳥取中部で初めて、圃場整備(田んぼの整備)のパイロット事業が行われることになりました。先代社長であった父と相談の末、私達は請負業者として手を挙げることを決めました。圃場整備というのは、工事そのものよりも、田んぼの所有者との折衝が主要な仕事です。何と言っても先祖伝来の土地を整備しなおすのですから、少しでも疑問やわだかまりを抱かせてしまうと工事はそこでストップ、にっちもさっちも行かなくなってしまいます。私達は、土地の皆さんの懐に飛び込め!という社長の命令一下、こちらの誠意をわかって頂く努力を続け、いつしか「田んぼのことは高野組に聞け」とまで言われるようになりました。

この、人間腹を割って話せば通じるものだという教訓を得たことは、高野組の貴重な財産になったと、今でも私は思っています。

 

橋を架け、田んぼを整備した日々

 


②  
歴史を語る

地域に貢献することが、自分達の生きる道と心して

昭和58年に、私は社長業を継ぎました。これまで実行部隊として現場を引っ張ってきたのが、今度は営業の先頭に立つことになったのです。

この時に心したのが、"地域の人にかわいがられる存在になる"ということでした。私達がよく顔を知ってもらい、何でも言ってもらえる間柄になっておかないと、もし不具合が出た場合、私達が仕事をいただいている県や大手ゼネコンに苦情が行ってしまいます。そんなことがないように、そして道を行く人達が「高野組の現場はいつもきれいだな」と思ってくださるように、社員に徹底しました。

現場だけではありません。交通マナーをしっかり守る。いつも清潔な服装をする。こうしたことは見るともなしに見られているもの。家族揃っての夕飯の席で、「きょう、高野組の車が止まってくれたよ」と言われるのと「ぴゅーっと横切られてこわかった」と言われるのとでは、天と地ほども差が出るではありませんか。

地域に貢献すること

「社長元気か?」このひと言が活力の源

県の土木施工管理技師会の会長を、長年務めさせていただいたのも、自分の会社だけよくなっても仕方がないという考えから。県内の業界全体、ひいては全国の土木建築業界がよくならなければ、高野組の未来もないという気持ちからでした。

2010年の春の叙勲で「旭日小綬章」を頂戴するという光栄にも浴しましたが、これもあくまで、県内で建築業に携わられる皆様を代表して、たまたま私が頂いたのだと思っています。本音を言うと、私には勲章よりも、いまだに社員が地域の方から「社長元気か?」と尋ねられることの方が嬉しいのです。

"地域の人にかわいがられる存在"。高野組のこのモットーだけは、絶対に変ることがないし、変えてはならないと心に誓っています。

「社長元気か?」ひと言が活力の源

 


③  
こころを語る

真面目で不器用、それが高野組の長所でもあり泣き所

とにかく真面目。その点では定評のある高野組の面々です。その一例をお話ししましょう。

たとえば学校を建てる場合。まずは設計事務所がコンペで勝ち抜くために、工夫を凝らしたデザインを提案します。それが採用されると私達の出番となるのですが、建築を担う私達は、そのデザインを支えるだけの施工をしなくてはなりません。子供達が集まって学ぶ場なのですから、安全性に問題があっては決してならないのです。

そうしてデザインと両立させつつ、安全性に配慮した施工をすれば、予算がオーバーすることも多々あります。それでも安全第一、地域の人に何かあっては取り返しがつかない。引き受けた以上は赤字覚悟で、最後まで間違いのない施工をしようと考えるのが、高野組という会社なのです。うちの会社が儲けベタな理由、少しおわかりいただけたでしょうか?(笑)

しかしまあ、そういう不器用なところがあるからこそ、半世紀の長きにわたり、地域で存続してこられたのかもしれません(笑)。そんな土木や建築の世界に加えて、いま私達は、プラスアルファを求められる世界に挑戦していこうとしています。

それが、10年余り前から取り組んでいる住宅建築の世界です。

 

真面目で不器用

 


④  
こころを語る

コミュニケーション能力と提案力を求めて

土木・建築では「決められた通りに、スケジュールを守って工事を完了すること」が最大の目標でした。
住宅では最初の前提だった「決められた通りに」が存在しません。「お客様が決めて下さい。言われた通りにやりますから」などと言おうものなら、なんと提案力のない会社かと、呆れられてしまうことでしょう。

施工の技術には自信があります。
土木屋ですから、土壌を見極める目も持っています。
真面目さは折り紙つきです。

後はここに、お客様の心を汲み取るコミュニケーション能力と、十人十色のスタイルを考えられる提案力をプラスすればいい。そんな思いで、住宅建築に配属されたスタッフは必死で頑張ってきました。それは職人達をも巻き込んで、いまでは高野組ならではの家づくりのスタイルが、少しずつ育ってきつつあります。

コンセプトのある家づくりを

高野組が住宅建築に取り組むにあたり、知恵を借りたのが「イシンホーム住宅研究会」でした。イシンホームは単に工法やデザインを売り物にするのではなく、"家族の命を守る"、"家族の幸せづくりに役立つ""ものをつくる人々が思いをこめてつくる"などのコンセプトをしっかりと持ち、そのコンセプトに即した工法やメソッドを開発していました。このイシンホームの考え方に学べたことは、高野組のスタッフを大きく成長させてくれました。

お客様と気持ちが通じ合った時の喜び
人を笑顔にできることへの誇り
この人の住まいを長年にわたってケアしていくんだという責任感

それらは今やスタッフの血となり肉となって、家づくりの現場で活かされています。2010年からは、若い人達に責任者となってもらい、これからの子育て世代の希望を、ダイレクトに反映させられるよう、組織も整えました。これまでの「真面目さ」をベースに、地域の皆様との共感をより深め、高野組の家を地域にたくさん建てていきたいと思っています。皆様、どうかこれからも、進化していく高野組を、あたたかい目で見守って下さいますよう、伏してお願い申し上げます。

コンセプトのある家づくりを

高野組の家づくり